2018年の事、初めて台北の街を歩いていたらしばしば「北平」という文字を見かけました。中国語読みで「ペイピン」です。
実はこの北平、中国の北京の事なのです。
なぜ北京が北平になったかというのは1925年の辛亥革命まで遡ります。
革命後蒋介石によって中華民国が成立。その際、首都は南京となり、北京は「北平」と改名されています。そして太平洋戦争が終了し、今度は国民党と共産党の内戦の後、今度は共産党の中華人民共和国が成立、北平は北京と再び改名され、同時に首都となり現在に至っています。
共産党を認めない当時の国民党にしてみれば、自分たちが改名した「北平」を共産党により北京に改名されても、その呼称も認めるわけにはいかなかったのでしょう。
実際、私が初めて台湾に行った1988年はまだ国民党一党支配が続いており、公的機関やメディアも北京の事は「北平」と言っていました。訪れた台湾第3の都市、台中の夜市で食べたとても美味しかった饅頭も、お店の看板には「北平包子」でした。ちょっとうろ覚えですが、お店の地図にも北平と表記されていたと思います。
現在の台湾と中国の関係を見ると歴史の遺物とも言えそうなこの「北平」という文字。
初めて行った台北の街でこれを見て、まだ残っているんだなぁと思いました。
ちなみに上の写真にある北平と書かれている看板は北京ダックのお店のようです。